「鳴く蝶」岡島利夫

 トルコ東部の町ドーウバヤズットを経由し、旧約聖書でノアの方舟が漂着した山として有名なトルコ最高峰のアララト山を左手に見ながら、現地で借り上げたタクシーでイラン国境に向う一人の男がいた。その運転手によれば、今は殺風景だが春になればこの辺一帯はアンズの花が咲き乱れ大いに綺麗だそうだ。
日本の各紙は、
「テヘラン上空にイラク機三機が飛来し、イラク・イラン戦争開始後、初めてのテヘラン空爆が行われ、市民十余名の死傷者が出た模様」と、報じた。
その報道を見た男は、とるものもとりあえず成田発のアエロフロートでモスクワ経由で早朝にイスタンブールに着き、同地でそのままエルズルム行きの国内便に乗り継いだ。
フセイン・イラク大統領が“イラン領空を戦争空域に指定する”と宣言をすると、日本人を含む多くの外国人がイランからの脱出を図った。それにも拘わらず、男は逆にトルコから陸路でイランへ入ろうとしている。
 男は日本橋にある老舗百貨店「丸越」の海外事業部に属し、名を杉村正則と言う。杉村は、いわゆるホメイニ革命の前後、二度にわたりテヘランに在勤したことがある。
初めてのイラン在勤は、「丸越」が岡村社長の下で、国内外での事業拡大路線に走っていた時期であった。杉村のテヘランでの任務は、JALのテヘラン乗り入れ開始に便乗して、市内に丸越トラベルの事務所を開設し、日本人旅行者をイラン国内の名所旧跡に案内すること、及び彼らを受け入れる日本料理店を市内に開設することであった。その店で出すキャビアの軍艦巻きはあっと言う間に評判になり、有難いことにテヘランを訪れる日本人の間では、“三越店での軍艦巻きを食べずして、テヘランに行ったと言うな”が合言葉となった。
もう一つの任務は、日本橋本店で開催する大ペルシャ絨毯展用の絨毯を選定することであった。「丸越」はこれまでも高価なペルシャ絨毯を販売していたが、イランから直接仕入れるルートはなかった。杉村はまずイランで最大の絨毯会社であるICCつまりイラン・カーペット公社を訪れた。幸い同社の販売担当重役であるガスタビアン氏は、訪日経験があり「丸越」のことを良く知っていた。
杉村には、もう一つの任務があった。イランを舞台にした映画製作支援であった。二木寛の小説「亜季、燃える」が原作で、その主題は“自立し、自分の信念を貫く一人の若い女性にとっての恋愛とは、男に縛られない新しい女性とは何か“を描いたものである。その背景にはペルシャ絨毯を巡る話がふんだんに織りなされている。
 杉村はこのようなテヘランでの任務をすべて無事こなし、帰国したにも関わらず、間もなくして、またテヘランへ舞い戻らざるを得ない大きな事件が発生した。
イランでは以前からシャーによる強引な近代化が推し進められた。これにより、改革派と保守派との間での対立が激化していた。政府側は反対派の弾圧を強化したが、情勢は急変した。シャー一族の国外逃亡に続き、入れ替わり、宗教指導者であるホメイニが海外の亡命先から帰国した。市内ではアメリカ大使館が革命勢力により占拠され、外交官とその家族等が人質となる事件が発生した。
この事件を契機にJALや東京銀行他の日本企業が一斉にイランから撤退しはじめた。杉村は「丸越」のテヘラン事務所撤収作業のため急遽テヘランに舞い戻った。アパートは仕事上知己を得たICC役員のガスタビアン氏が市内高台にある自宅の一室を提供してくれた。その家は、市内からエルブルーズ山系に向かうなだらかな坂を上る途中の、ジョルダン地区と呼ばれる高級住宅街の一角にあった。白亜の四階建ての近代的マンションである。
杉村がこの革命下での二度目の勤務から早々に帰国できたのは、イラク軍によるイラン侵攻事件が勃発したからである。当時「丸越」社内では岡村社長のワンマン強引路線に反発する発言が陰に陽に飛び交っていた。これに対し岡村社長は反対派の幹部たちを左遷させることにより対抗した。
 さて、大ペルシャ絨毯展であるが、その開会式には作家の二木寛先生がテープ・カットに臨んでくださった。映画「亜季、燃える」の並行興行による相乗効果もあり、展示会や即売会には多くのお客様にご来駕いただいた。イランからはガスタビアン氏がICCを代表して来日した。
それはその絨毯展の初日のことであった。杉村が展示会場の出入口でお客様の整理誘導をしていた時、白のブラウスに紺のタイト・スカートといった清潔感のある落ち着いた服装で、すらっと清楚な感じの一人の若い女性が話しかけてきた。
「本当にすばらしいコレクションを見せていただきました。百貨店での展示会とのことであり、正直あまり期待はしていなかったのですが、アッ、ごめんなさい。失礼なことを申し上げました」
 杉村は、遠慮のない言い方に正直カツンとこなくはなかったが、一呼吸置いて、
「ご満足いただけましたでしょうか、私自身がこの足でイラン五大産地を訪れ、この目で選定してきた秀作ばかりです」と大見得を切った。
すると女性は、今度は一転、いたく感心したように、胸につけた名札と顔を見比べながら、
「杉村様が選定なさったのですか。失礼ですがお若いのに、ペルシャ絨毯についてすばらしい選定眼をお持ちですね」と、また上から目線で話しかけてきた。
「お褒めにあずかりありがとうございます。ペルシャ絨毯へのご造詣が深い方とお見受けしますが?」と、尋ねると、
「日本藝術大学大学院の染色学科研究室におりますが、ペルシャ絨毯のデザイン美に魅せられ、個人的に長らくその色彩と顔料につき研究しております。失礼しました。田崎恵子と申します」と、自ら名乗った。杉村は、
「田崎様、もし本日お時間がおありのようでしたら、別会場にイラン・カーペット公社の役員が控えております。ご紹介しますのでお会いしてみませんか?」
「うれしいわ。是非、ご紹介ください」と、田崎は答えた。
即売会場で手持ち無沙汰でいたガスタビアン氏にとり、思いがけない美女の来訪は大歓迎のようであった。杉村は田崎さんをガスタビアン氏に任せ、再び展示会場の方に戻った。その晩、杉村は閉店後にガスタビアン氏を六本木にあるペルシャ料理店に案内することになっていた。夕刻、展示会場を締めた後、即売会場へ向かった。そこで待ち構えていたガスタビアン氏の顔はどこか嬉しそうであった。多分、売り上げが満足のいくものであったのであろうと予想した。すると、
「杉村さん、今夜、ケイコも呼んでおきました。大丈夫ですよね?」
「ケイコ? どなたですか?」
「タザキ・ケイコさんですよ。彼女はなかなか面白い子です。ペルシャ語も少し勉強していると言っていました」 あの田崎恵子のことであった。
あの後、即売会場でガスタビアン氏と田崎は話が弾み、その続きは夕食の場でということになったようだ。タクシーで六本木に向かった。レストランは狭いが小奇麗で、店内にはサントゥールの音色が流れ、壁には伝統絵画のミニアチュールが飾られていた。
二人が到着した時、まだ田崎の姿はなかった。メニュー選びをしていると、シャネル丈の薄いピンク地に蝶の柄がデザインされたワンピースにハイヒールの一人の女性がさっそうと現れた。田崎である。我々のテーブルに真っ直ぐ近づくと、まず、ガスタビアン氏に向かって、
「ボンソワー アガイエ・ガスタビアン ハレ・ショマ・フベ?(今晩は、ガスタビアンさん、ご機嫌いかがですか)」と挨拶した。
「ケイコ、ご機嫌いかが、今夜のその蝶柄のお召し物は大変お似合いできれいですよ。美しい蝶が舞い込んで来たのかと錯覚しました」と、ガスタビアン氏は如才ない挨拶をした。
田崎の所属する日本藝術大学とテヘランに所在する女子大学であるアルザフラー大学とは革命前からの交流がある由である。革命後はイラン側からの来日は途絶えているが、日本側からの留学の道は閉ざされたわけではなく、田崎は、いつの日かイランを訪れるチャンスを狙っていたとの説明であった。食事中の会話は主に田崎とガスタビアンの二人が行っていたが、杉村は間隙をぬって、
「田崎さんのイラン行の熱意を聞いていると、どこか現在の生活からの逃避といいましょうか、叶わぬ恋を振り切る手段として、イラン行を考えているようにも見えますが如何ですか? 例えば“亜季、燃える”の主人公“亜季”が愛人関係にあった初老の男性の呪縛から逃れる手段としてイラン行を決意したように」と指摘すると、
田崎は、ポッと顔を赤らめ、
「いえいえ、決してそのようなことはありません。純粋に研究のためです」と多少あわてた様子を見せた。
杉村は、その時の田崎の動揺の気配を斟酌し、それ以上の詮索を避けた。杉村は出会いの初日に田崎と食事ができたことに運命的なものを感じつつも、別れ際に自宅の電話番号を手書きした名刺を手渡すのがやっとであった。他方、ガスタビアン氏は田崎と再び頬寄せの挨拶をしながら、
「ケイコ フォダー ハーフェーズ プロシェンヌ フォア ア テヘラン(さようなら、ケイコ 次回はテヘランでお会いしましょう)」とご機嫌の様子であった。
杉村と田崎との出会いはこのようなものであった。
 その後、徐々にお互い多忙な合間を縫ってデートをする程度の間柄になっていった。ある日の銀座での夕食デートの時のことである。田崎は、
「デパートには綺麗な女性が多いし、さぞ社内恋愛も多いのでしょうね? その点、大学の研究室と言うところは、狭い部屋の中で常に身近に人の目があり、男女間のお付き合いは上辺だけのものになってしまいます。それに私は尊敬と言う概念抜きに男性とは向き合えない性格なんです。だからつい初老の男性に目がいったりして・・・」と最後の言葉を濁した。
杉村は初対面の夕食の席で“叶わぬ恋”の話をした時の田崎の反応を思い出しつつ、
「このようなお話を田崎さんの方からされると言うことは、例の初老の男性のことをお尋ねしてもよろしいということですか?」と、尋ねた。
田崎も何時かは話そうと思っていたのであろう。
「はい、大学院で私が所属する研究室の指導教授で、妻子のある方でした。過去形で申し上げましたが、いまでも恋慕の情がないわけではありません。しかし、ここで私が我欲を貫くと、相手のご家庭を壊しかねません。先般、先生は、しばらく日本から離れ、自立した環境の中で研究することがよかろうと、アルザフラー大学に留学できるよう推薦状を書いてくださいました。来学期よりイランにまいります」
「エッ、それって私ともお別れという意味ですか?」杉村はあわてて聞いた。
「それは、杉村さん次第です。戦争をやっているあんな危険な国に行くなとおっしゃってくだされば、考え直すかもしれません。如何ですか?」
 この思いがけない言葉に、杉村は一瞬返事に窮した。田崎はそんな一瞬の戸惑いを見逃さず、
「突然このようなことをお尋ねして、本当にごめんなさい」
「とんでもない、この戸惑いは、男として好意をもっている女性から、何か運命を託されたような、そして、男の責任として、貴女に何ができるのかを真剣に考えためだと理解してください」
「好意とおっしゃいましたが、この高慢ちきな私のどこが気に入られたのですか?」
「正直言って、初めてお会いしたとき衝動的に恋に落ちました。一目ぼれです。貴女は清楚で美しかった」
「ありがとうございます。でも女性の見かけの美しさはスキン・デプスと言いますが、それでよろしいのですか?」
「はい、確かに男というものは一般的には第一印象を重視する動物だと思います。しかし、最終的にはその女性が私に対し運命を託す気持ちを持っているかどうかを確かめます」
すると、田崎は、
「その、その気持ちの有無は、どうやって確かめるのですか?」と問うた。
「一言で言えば、その女性が妻として、私の子供を宿せるかどうかです」と言い切った。
田崎は、“エッ!”と不意を突かれたようであった。そして暫しの沈黙があった。杉村はその場の空気を変えるべく、唐突に、
「田崎さんは蝶の鳴き声を聞いたことありますか?」と質問した。
「エッ、蝶って鳴くんですか?」と一瞬緊張がほぐれ、この話に興味が向いてきたようである。
佳境に入りもう少しでこの物語が終わるところで、田崎は時計を見ながら、
「あっ! すみません、これから明日使う学術発表会用の原稿をまとめなくては」と、言いつついそいそと帰ってしまった。
 それでも、その後まもなくして、二人のそれぞれの呼びかけは“ノリさん”と“KK”に変化していた。
それは5月のある日、箱根への一泊旅行が、一つのきっかけだったと思う。芦ノ湖畔にある”山のホテル“の庭園はツツジが満開であった。庭園に咲く色とりどりのツツジと新緑、そして青い空にそびえる冠雪の富士山、一服の絵のようであった。杉村はその時のツーショット写真を大切に手元に持っている。杉村は何よりKKのイラン行により関係が疎遠になることを恐れた。そこで杉村は、会うたびにKKのテヘランでの住まいのことや現地の生活情報を提供し続けた。結局、住まいはガスタビアン氏が自宅の一室を提供してくれることになった。
他方、田崎はこの別離を杉村ほど深刻に考えていなかったようだ。多分、田崎にとって、別離と言う意味では、これまで敬慕の念をもちつつも心の中で愛情へ変化していた指導教授への思いを断ち切ることの方が重大事であったように思われる。
 テヘランでKKは、ガスタビアン家で家族同様の扱いを受け、大学では良き研究仲間に恵まれた。また、杉村が紹介状を出しておいた絨毯工房において製造体験をさせてもらっているようである。
KKにとってのもう一つの収穫は、テヘランの日本人学校で美術の授業を担当したことである。“恵子先生”とか“お姉さん先生”と呼ばれ、一人暮らしをしているKKにとり何よりの慰めとなったようだ。しかし、留学二年目に、あの事件がKKを突如襲った。

 イラン側の国境検問所を出るとタクシーや乗合バスの運転手たちが大勢待ち構えていた。杉村は、テヘラン・ナンバーであることを確認しながら、古い一台のベンツを選定した。テヘラン市内へは幸い日没前に入ることが出来た。
懐かしい白亜の四階建ての家が見えてきた。門扉のベルを鳴らすと顔を出したのは次男坊だった。大人っぽく太い眉毛が立派につながっていた。部屋に入るとサロンにはガスタビアン氏が笑顔で立っていた。その太い腕で杉村をしっかりと抱きしめた。妻と子供達は郊外の別荘に避難しており、家には長男を含め三人の男達だけが居残っているとのことであった。
KKは二度の空爆に怯えつつも、一人で大丈夫だと言い張り、クムにある絨毯工房で居候をしながら勉強を続けているそうだ。 杉村はKKが使っているという四階の部屋に案内してもらった。窓際の机の上に置かれた写真立てが目に入った。その写真は、例の“山のホテル”に行った時のツーショットの写真である。  
 杉村は翌朝、長男坊の運転でクムの絨毯工房に向かった。受付でKKは工房内の染色工程の棟にいると聞き、一人で向かった。その棟のドア―を開くとKKの後姿が見えた。静かに背後に忍びより、驚かないように、
「ケイコ!」と小さい声で呼びかけた。KKにとって、それは聞き慣れた横文字の“Keiko!”の音ではなく、日本人の声である。振りかえるとそこには杉村がいた。KKの目が一瞬にして潤んだのが判った。杉村は黙って両手を広げ、KKを胸で受け止めるジェスチャーをした。KKは、
「正則さん! どうして、どうしてここに居るの?」と、胸の中に飛び込んできた。
「会いたかったから来たんだよ。さあ、日本へ帰るよ」と、言うと、KKは、
「ン・・」と胸の中で小さくうなずいた。
明日の朝は、ガスタビアン氏が会社の車を提供しトルコ国境まで送ってくれることになった。家族との早めの夕食を終え、一緒にKKの部屋へ上がろうとすると、恵子は
「ちょっと、ここで待っていて」と、言って、
慌てて一人で四階の部屋に上がっていった。息を弾ませながらあっという間に戻ってきた。二人は皆に“おやすみなさい”を言ってKKの部屋へ移動した。部屋の様子は昨日見た時と特に変わりはなかった。
しかし、杉村は、“アッ”と思った。机の上にあったツーショットの写真が消えていた。KKは何事もなかったかのように、
「これから、少し荷造りをするので、シャワーを浴びて、先に寝ていて」と言った。
KKは一人でゴソゴソと荷造りをしていたようであるが、杉村は知らぬ間にウトウトと寝入ってしまった。しばらくするとKKは杉村の横にスーッと滑り込んでできた。その肌はうっすらとソープの匂いがした。杉村は久しぶりにKKの柔らかい肌を全身で感じた。
 翌朝は、近所の鶏の鳴き声で目をさました。KKは先に起きたのであろう、すでに身づくろいを済ませていた。身軽な旅装であったが、首元には蝶柄のスカーフが巻いていた。車は午前八時にガスタビアン家を出発した。三日前に杉村がタクシーでたどってきた道を逆走して、トルコ国境まで行くことになる。テヘランの町を抜けたころ、KKの方から手を伸ばしてきた。杉村の目を凝視しながら、
「正則さん、迎えに来てくれてありがとう」と言った。杉村は力強く握り返した。
その後、KKは堰を切ったようにテヘランでの生活の話をし始めた。一人で頑張ると言って日本を飛び出したものの、身近で破裂する爆弾の音を聞きさすが不安がつのったようだ。それでも週に一度、日本人学校の生徒たちと交わる中で、子供の存在を実感として受け止めることができるようになったとのことである。そしてKKは、
「私、正則さんの子供が欲しい」と唐突に言い出した。杉村は多少動揺しつつも、
「外国に一人で居る時の、一時の寂しさからの発言ではダメ、日本に帰ってから、KKがイランで習得した研究をどう活かしていくのか、いや是非活かして欲しいと思っている」と、平静を装い答えると、KKは、
「エッ それってひょっとして私のプロポーズ、断られたの?」
「いや、いやそうではないけど、今までのKKは、相手への敬愛を重視すると共に、知的女であることを前面に出していたのに変わったのかい?」
「う~ん、そうだったかな。でも私にとっての“敬愛”の意味は、以前考えていたような社会的地位や学識ではなく、“私の運命を託せる相手“として正則さんのことを考えることができるようになったの。それからずっと気になっていたことが一つあるんだけど。正則さんが、チョウザメの話をしてくれた中で“鳴く蝶”の話をしてくれたでしょ。どんな声で鳴くのか考えると眠れないの」と、聞いてきた。
「ああ、あの話ね、ペルシャの地から、古代海テーチス海をわたって、遥々、中国青海省に渡りをするチョウザメのウロコから生まれた蝶の話でしょ。あれはサメから生まれた蝶だから、“サメザメ”と鳴くんだよ」
「えーっ! 本当?」
「本当かって? この話が本当かどうかは問う前に、自らに問うてください。KK自身が夢を見ることができる人間か否かを」と、杉村は答えた。
一瞬、間が空いたが、KKは、
「もおー、いや~だ。正則さんたら」と言って笑った。
そしてKKの襟元のスカーフにある絵柄の蝶が同時に小刻みに舞った。
杉村は、KKのこの笑顔が嬉しかった。そして、満足であった。     (完)