内館牧子講演会「終わった人」を聴いて

岡島利夫

この「終わった人」とは多少衝撃的な言葉であることは確かである。いきがい大学の公開講座で内館牧子氏による講演会があると聞き、事前に図書館でこの小説を読んでみようとネットで図書館の閲覧予約者数を確認したところ、475人とあった。一人平均2週間手元に置いたとすると、閲覧できるのは何年先になるかちょっと計算する気にならなかった。ひょっとすると、閲覧可能となる前に、私自身が「終わった人」になっているかも知れない。
そんな心配をしていると最寄りの浦和にある映画館で舘ひろしと黒木瞳主演の映画「終わった人」が上映されていることを知り、事前予約は必要なかろうと平日の午後2時頃、同映画館に赴いた。多くの爺婆で席は概ね満席であった。終わった人たちが映画「終わった人」を見て、何を得ようとしているのか? 私の感想としては、残念ながら後味の悪い映画であった。
主人公の男は東京大学出で大手銀行に就職する。女性主人公はそんな男、つまり当時の三高(高学歴、高収入、高身長)の男に魅せられ生活の安定を求め結婚する。男は順調に会社トップまで出世していくかに見えた矢先、社内競争に敗れ、系列小会社の社長に飛ばされる。そこに不安を感じた夫人は、夫だけに頼ることに疑問を抱き、手に職を付けるべく、美容師になることを目指す。妻は夫が定年退職する時期には自立できるまでになる。それに比べ退職して会社を離れた夫は毎日、何をして良いか判らず、家に居ても日々うだうだ、ごろごろしている。妻は夫をもはや「終わった人」と見ている。しかし、夫は、俺はまだまだ「終わって」いないと再就職の道を探し、縁があってある新興IT会社の顧問に迎えられる。しかし、じきその会社の若き社長が急逝し、思いがけずその会社の社長に奉り上げられる。男はまた以前の輝きを取り戻すかに見えた矢先、その会社が倒産し、代表取締役として会社の負債を一人で被ることになる。男はなにもかも失う。独り立ちした妻から、今度は私が貴方を面倒見るからくらいの優しい言葉の一つもあるのかと誰もが思う?ところだが、妻から出た言葉は「離婚ということばは世間体が悪から、卒婚しましょう」であった。つまり別居である。妻は都内で美容院を開き独り立ち。夫は実家がある東北の郷里に帰り、郷里の昔の仲間に助けられ、東北復興関連のNPOの手伝いを始めるという話。あらすじにもならないつまみ食いの映画紹介であるが、後味が悪いと言ったのはこの最後の「卒婚」のことばだった。そう思うのは私一人だろうか?
 そうそう、本題の講演会の方はどうだったかと言えば、シニア人材センターや職安に行って、何か第二の仕事を見つけなさいとか、これまでゆっくり取り組めなかった趣味を深めなさいと言った話はありきたりと思ったが、次の2点にはなるほどと耳を傾けた。①元大英帝国の例を挙げつつ、終わった国であることを自覚しつつも、自存自立の精神を持ちなさいとの話と、②これまで培ってきた知識を背景とした品格のある老人を目指しなさいとの話には学ぶところがあった。
我々、とくに男性諸氏は定年退職後、「名詞で仕事をする」ことからは卒業しなければならなくなった。それでも私たちは歳を重ねつつも、それこそ「終わる」まで生きて行かなくてはなりません。そしてどう生きて行けばよいのかは、終わることのない永遠(これも「終わる」までですが)のテーマだと思います。
そもそも私がこの和光学園を選んだ理由の一つは、和光市は要介護認定率が日本一低い自治体であり、実際、世間ではこの分野では「和光モデル」という言葉すら生まれている。和光市の要介護認定率は約9.4%でこれは全国平均の約半分程度で、これはひとえに和光市が、高齢者を対象に、要介護にならない、要介護度を改善させる方向へインセンティブを与えることに成功し、効果をあげている証です。つまりこの「和光モデル」を自主学習のテーマとして取り上げ、老後のことを考える一つの指針が得られるのではないかと考えたからです。実際、和光市は人口約8万人、東京圏からは地下鉄の有楽町線、副都心線が乗り入れており、ホンダの研究所、理化学研究所、司法修習所などがあり、交通の便も良く、新しい人口の流入もある町です。高齢化率も16.4%と全国平均の26.0%より著しく低い。別に和光市の人口構成が比較的若い街だから要介護者が少ないということではない。要介護認定率はあくまで65歳以上の層の中でどれだけの人が要支援、要介護となっているかを示す数値だからです。因みに和光市には特別養護老人施設は1か所しかなく、人口8万にしては大変少ないことも和光市の特色の一つです。
講演会「終わった人」を聴き終わって、高齢者問題への取り組みまで思いを巡らして見ました。
岡島利夫筆